加賀友禅とは?特徴や歴史を詳しく解説!

加賀友禅とは?特徴や歴史を詳しく解説!

着物に興味がある人なら、「加賀友禅」という名称を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

今回は、加賀友禅の魅力について、特徴や歴史を踏まえて解説します。

加賀友禅とは

加賀友禅とは

出典:加賀友禅 KAGAYUZEN

友禅とは「友禅染」の略称で、江戸時代の著名な扇絵師である宮崎友禅斎によって生み出された染色技法です。

従来の染色は、絞りや刺繍、箔などを用いており、隣り合う色が混じりやすい点がデメリットでした。

一方、友禅では防染力の強い糸目糊で輪郭をとることで、それまで困難とされた複数の色彩を使った表現を実現しました。

加賀友禅は、石川県金沢市周辺で作られている着物で、「京友禅」「江戸友禅」と並ぶ日本三大友禅の一つであり、世界的にも評価の高い染色法です。

加賀友禅の特徴

加賀友禅の特徴

出典:加賀友禅 KAGAYUZEN

加賀友禅の主な特徴として、以下の3点が挙げられます。

それぞれの特徴について詳しく解説します。

写実的な模様

加賀友禅の大きな特徴は、まるで絵画のように落ち着いた印象の写実的な模様です。

その多くが緻密な草花模様で、友禅染だからこそ実現できる表現といえます。

加賀友禅が生まれた加賀藩を治めた前田利家は、桃山時代を代用する教養人でもありました。

加賀藩といえば「加賀百万石」と謳われるように、莫大な財力を培ったことでも有名です。

前田氏は、軍事よりも文化を育て広めるために多くの財力を費やし、加賀友禅にもその影響が現れています。

例えば、前田氏が大切にした文化的な趣向を踏まえながら、武家をイメージさせる気品を感じられる点も特徴の一つです。

加賀五彩

加賀友禅とは?特徴や歴史を詳しく解説!

出典:加賀友禅 KAGAYUZEN

加賀友禅のベースとなっている「藍」「臙脂」「黄土」「緑」「古代紫」の5色が「加賀五彩」です。

加賀友禅では、加賀五彩の濃淡によって自然をモチーフとした絵を表現します。

一つの作品に使われる色味は50種類といわれており、わずか5色で幅広い色を生み出す技術の高さがうかがえるでしょう。

金箔や刺繍なども取り入れながら華やかな印象を表現する京友禅と比較すると、加賀友禅は落ち着いた色味が特徴です。

現在も、加賀友禅の作家は加賀五彩を基調に、時代にあったデザインを行なっています。

ぼかし技法

加賀友禅や京友禅では、模様にぼかしを入れて立体感を出す技法が用いられています。

京友禅では内側から外側に向かってぼかす一方で、加賀友禅では模様の内側にぼかしを入れる点が特徴です。

加賀友禅で用いられる技法を、「先ぼかし」や「外ぼかし」といいます。

虫喰い

加賀友禅では、より写実的に表現する目的で、木の葉についた虫喰いの跡を小さな墨色の点で染めることがあります。

虫喰いは、自然界そのものの「美」を感じさせるだけでなく、デザインに加えるアクセントとしての役目も果たす表現であり、加賀友禅の伝統的な技法です。

加賀友禅の歴史

加賀友禅の歴史

出典:加賀友禅を知る | 加賀友禅 KAGAYUZEN」

加賀友禅の歴史

出典:加賀友禅を知る | 加賀友禅 KAGAYUZEN」

加賀友禅が生まれた地である加賀国は、もともと絹や麻の産地として知られていました。

また、友禅染めに不可欠な水が豊富なエリアでもあり、加賀友禅が始まる以前から染物が行われていたようです。

続いては、加賀友禅の歴史について紐解いていきます。

加賀国独自の技法「梅染」

加賀国では、1540年頃には「梅染」という技術で染物を行なっていたことが記録に残っています。

当時は、現在の加賀友禅で見られる模様染ではなく、梅の樹液を原料にした色料や柿渋で染めた無地染でした。

この頃にはすでに200軒程度の紺屋が並んでいたとされ、染色が浸透していたことがわかります。

元禄時代に確立された染色技法

江戸元禄時代に入ると、京都で人気を誇っていた扇絵師の宮崎友禅斎が加賀国に移住し、金沢で御用紺屋頭取の太郎田屋において革新的なデザインの模様染を数々生み出しました。

また、加賀友禅に欠かせないアイテムである友禅糊が開発されたことにより、加賀友禅は大きく飛躍し始めます。

染色技術が定着すると、前田家が治める加賀国が大切にしていた武家文化の影響もあり、加賀友禅の名工が多く誕生しました。

全国的に広まった昭和時代

江戸時代に加賀友禅の技法が定着して以降、優れた作家たちが多くの作品を生み出しましたが、全国的に知られることはありませんでした。

しかし、大正から昭和にかけて精力的に活躍した加賀友禅作家、木村雨山(きむらうざん)の登場をきっかけに知名度が格段に上がります。

木村雨山は、加賀染の名工として知られる上村雲嶂(うえむらうんしょう)や南画家の大西金陽に師事し、1923年から友禅作家として独立した人物です。

独立後、数々の展覧会に出品し、1955年には加賀友禅の作家として初めて重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に認定され、1977年にその生涯を閉じるまで目覚ましい活躍を遂げました。

現在の加賀友禅

現在、加賀友禅は協同組合加賀染振興協会によって品質管理が行われています。

加賀友禅を制作する作家になるためには、工房を運営する師匠について7年以上の修行を積まなければなりません。

その上で、加賀染振興協会の会員2名からの推薦を得た人だけが、加賀友禅作家として認められます。

厳しいハードルをクリアした加賀友禅作家の作品には落款が記されており、品質を保証する印です。

近年は、現代の流行にマッチしたデザインも多く、個性豊かな作品が楽しめます。

加賀友禅の名工たち

江戸時代から現代に至るまで、加賀友禅にはさまざまな名工が誕生しました。

その中から、2名を紹介します。

木村雨山

現代の加賀友禅を語る上で欠かせない人物の一人が木村雨山です。

加賀友禅作家初の人間国宝であり、日本はもとより世界に広く加賀友禅を広めた上でも重要な存在といえます。

木村雨山の作品の大きな特徴は、日本画で学んだ技術が用いられている点です。

また、リアリティを大切にしており、持ち前の観察眼を生かして日常の風景や自然の要素をモチーフに多く取り入れています。

木村雨山の作品は、東京国立近代美術館や石川県立美術館に収蔵されています。

由水十久

加賀友禅における代表的な作家の一人として、由水十久も挙げられます。

由水十久は、1913年に金沢市で生まれ、1927年には京都の友禅作家である紺谷静蕉の下で10年以上にわたり修行をしたのち、1938年に独立しました。

1947年に金沢に戻り、以降加賀友禅作家として日本各地で個展を開催します。

こうした活動は高く評価され、日本だけでなくアメリカやイギリスなどでも活躍するようになりました。

1988年に逝去しますが、その後も彼の精神は息子たちに引き継がれ、由水十久の名や技術を後世に伝え続けています。

由水十久の作風は、縁起物とされる「唐子(からこ)」と呼ばれる童(わらべ)を中心とした人物をモチーフに取り入れている点です。

草花が多い加賀友禅の中でも、特徴的な作品といえるでしょう。

髪の毛や服装の細かいディティールなどを表現する技術からも、世界で評価される理由が伝わります。

また、由水十久は「着る人が主役」であることを大切にしており、どこからみても美しい仕上がりになっている点も特徴です。

まとめ

まとめ

出典:加賀友禅会館|スポット|【公式】石川県の観光/旅行サイト「ほっと石川旅ねっと」

加賀友禅は、京友禅・江戸友禅と並ぶ三大友禅であり、日本が誇る染色技法の一つです。

技術が確立した江戸時代以降、優れた作家を輩出し、現在も多くの加賀友禅作家が活躍しています。

他の着物には見られない写実的で落ち着いた加賀友禅の美しさは、普段着物をあまり着る機会がない人でも魅了されるしょう。

近年は、フラワーアーティストやデザイナーとのコラボレーション作品など、従来にはなかった斬新なデザインも見られます。

また、加賀友禅染を体験できる施設もあるので、金沢を訪れた際には、ぜひチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

着物に縁がない人でも、加賀友禅の魅力を体感できます。

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