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沙沙貴神社庭園|佐々木源氏発祥の地に咲く鈍穴流の名庭と歴史を完全ガイド

沙沙貴神社庭園|佐々木源氏発祥の地に咲く鈍穴流の名庭と歴史を完全ガイド

滋賀県近江八幡市に鎮座する沙沙貴神社は、全国の佐々木姓の方々にとって特別な意味を持つ聖地です。佐々木源氏発祥の地として知られるこの神社には、明治の名匠・勝元宗益が手がけた美しい庭園をはじめ、歴史と自然が調和した神聖な空間が広がっています。境内に点在する複数の庭園は、それぞれ異なる趣を持ち、四季を通じて参拝者の心を癒し続けています。

沙沙貴神社庭園の概要・基本情報

沙沙貴神社庭園|佐々木源氏発祥の地に咲く鈍穴流の名庭と歴史を完全ガイド

沙沙貴神社庭園は、近江源氏の氏神として崇敬を集める沙沙貴神社の境内に配された複数の庭園の総称です。神話の時代から続く悠久の歴史を背景に、江戸時代後期から明治時代にかけて整備された美しい庭園群が、参拝者を静寂の世界へと誘います。

歴史と由来

沙沙貴神社の創建は神代にまで遡り、少彦名神が小豆に似た豆のサヤである「ササゲ」の船に乗って海を渡り、当地に降り立ったという神話に由来します。この伝説から、この地は「ササキ」と呼ばれるようになり、少彦名神を祀ったことが神社の始まりとされています。

古代に沙沙貴山君が大彦命を合わせて祀り、景行天皇が志賀高穴穂宮への遷都に際して大規模な社殿を造営させたと伝わります。平安時代には延喜式神名帳に登載された格式高い式内社となり、近江国蒲生郡の重要な神社として位置づけられました。

現在神社には、少彦名神、大毘古神、仁徳天皇、宇多天皇、敦実親王の四座五柱の神々が「佐佐木大明神」として祀られています。これらの神々は、国造りや病気平癒、国家安泰の神として、古くから人々の信仰を集めてきました。

佐々木源氏発祥の地としての意義

沙沙貴神社は、宇多源氏佐々木発祥地であり、近江守護である佐々木一族や沙沙貴郷33村をはじめとする人々の信仰を集めました。平安時代中期、宇多天皇の皇子敦実親王に連なる源成頼が近江へと下向し、その孫である経方の代に蒲生郡佐々木庄の下司となって佐々木氏を名乗ったことが、佐々木源氏の始まりとされています。

境内の随所には佐佐木氏(佐佐木源氏)の四ツ目結い(七ツ割四ツ目)の定紋が見られ、全国の宇多源氏・佐佐木源氏(京極家、黒田家、三井家、佐佐木家など二百二十余姓)ゆかりの人たちが信仰する神社として、現在でも多くの参拝者が訪れています。

戦国大名の六角氏や京極氏、福岡藩黒田家、佐々木小次郎、乃木希典、三井財閥など、歴史に名を残す多くの著名人がこの佐々木源氏の流れを汲んでおり、沙沙貴神社は全国の佐々木一族を結ぶ精神的な拠り所となっています。

庭園の成り立ちと特徴

沙沙貴神社の庭園群は、江戸時代後期から明治時代にかけて段階的に整備されました。なかでも最も著名なのが、明治22年(1889年)に”鈍穴流”の祖・勝元宗益により作庭された”呑月の庭”です。

勝元宗益(鈍穴)は、幕末から明治前期の作庭家で、近江国出身。茶道遠州流中興の立役者と言われる坂田郡国友村の辻宗範の門人となり、茶道・南画・和歌・築庭などを学びました。茶道では宗益、南画では蘭谷または蘭岳、築庭では鈍穴と号し、諸道に通じた文化的万能の才人として知られています。

神社境内には呑月の庭のほかにも、近江百華苑、さざれ石の庭、彫刻家・中嶋登茂美さんによる干支の彫刻が立ち並ぶ千丈の庭など、それぞれに趣の異なる複数の庭園が配されており、参拝者は神聖な空間の中で多様な庭園美を楽しむことができます。

沙沙貴神社庭園の見どころ・特徴

沙沙貴神社庭園|佐々木源氏発祥の地に咲く鈍穴流の名庭と歴史を完全ガイド

沙沙貴神社境内に点在する庭園群は、それぞれが独特の魅力を持ち、参拝者に四季折々の美しさを提供しています。神社という神聖な空間に調和する庭園デザインは、日本の伝統的な美意識と精神性を体現した貴重な文化遺産といえるでしょう。

「呑月の庭」勝元宗益の鈍穴流作庭

拝殿の横にある池泉式庭園が”鈍穴”こと勝元宗益により1889年(明治22年)に作庭された”呑月の庭”です。この庭園は鈍穴流の代表作として、庭園史上でも重要な位置を占めています。

イザナギノミコト、イザナミノミコトを2つの立石で表した力強い石組の庭園となっており、神話の世界を庭園空間に表現した独特の作風が特徴です。神社境内という立地を活かし、宗教的な意味合いを込めた石組は、見る者に深い精神性を感じさせます。

鈍穴流の庭園は、茶庭風の飛び石に特徴があるとされていますが、沙沙貴神社の呑月の庭では、神社境内の一角という特殊な環境に配慮した別の作風が展開されています。池泉を中心とした構成の中に、鈍穴独特の美意識が込められた庭園空間が広がっています。

近江百華苑と季節の花々

その他境内には”近江百華苑”と呼ばれる花園があり、四季を通じて様々な花々を楽しむことができます。初詣では「蝋梅」4月末には「うらしま草」5月中旬には「なんじゃもんじゃ」の花など、年間を通じて様々な花が楽しめます。

特に「なんじゃもんじゃ」として親しまれるヒトツバタゴの花は、5月中旬に白い雪のような美しい花を咲かせ、多くの参拝者の目を楽しませています。蝋梅の香り高い花、珍しいうらしま草の独特な形状など、それぞれの季節に応じた花々が境内を彩ります。

四季折々の花を観賞いただけるように境内には多くの草花、花木を植栽しております。神社では参拝の際にこれらの花々もぜひご覧いただきたいとしており、自然と調和した神聖な空間作りに力を入れています。

さざれ石の庭と千丈の庭

境内には”さざれ石の庭”、彫刻家・中嶋登茂美さんによる干支の彫刻が立ち並ぶ”千丈の庭”などもあり、多彩な庭園美を楽しむことができます。

さざれ石の庭は、国歌「君が代」にも歌われるさざれ石を配した庭園で、日本の精神性を象徴する空間となっています。小さな石が長い年月をかけて大きな岩となることから、永続性や発展を願う意味が込められています。

千丈の庭では、十二支それぞれを表現した石の彫刻が配置されており、参拝者は自分の干支の彫刻を探しながら庭園散策を楽しむことができます。これらの彫刻は現代の作家による作品で、伝統的な庭園空間に現代アートの要素を加えた興味深い試みとなっています。

これらの庭園群は、それぞれが異なるテーマと表現手法を持ちながらも、神社境内という神聖な空間に調和し、参拝者に多様な美的体験を提供しています。

境内の歴史的建造物と文化財

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沙沙貴神社の境内には、江戸時代から明治時代にかけて建立された貴重な歴史的建造物が数多く残されています。これらの建造物は滋賀県指定有形文化財や国登録有形文化財として保護されており、建築史上でも高い価値を持つ文化遺産となっています。

滋賀県指定有形文化財の社殿群

平安・鎌倉様式を継承し江戸中期に再建された茅葺きの「楼門」や、東西廻廊と四国丸亀藩主京極家によって弘化5年(1848年)に建築された「本殿」「権殿」「拝殿」など大型木造建築八棟はすべて重要文化財に指定されています。

本殿は弘化5年(1848年)に丸亀藩主京極高朗により再建。建築物の建築構造は五間社流造、向拝三間、銅板葺となっており、江戸時代後期の神社建築の傑作として評価されています。五間社流造という格式高い建築様式は、神社の由緒と格式の高さを物語っています。

権殿と拝殿も同じく弘化5年(1848年)に京極高朗によって再建されました。権殿の中央の座には置目姫命・狭狭城山君の祖倭帒宿禰の妹、源雅信公、源秀義(佐々木秀義)公、源氏頼(六角氏頼)公が祀られています。これらの建造物は、佐々木源氏の歴史を物語る重要な文化財として大切に保存されています。

楼門と東西廻廊の建築美

楼門は延享4年(1747年)再建。平安時代の様式。葭葺、二層門。扁額「沙沙貴神社」は有栖川宮熾仁親王の筆となっており、江戸時代中期の建築技術の粋を集めた美しい建造物です。

楼門の建築様式は平安時代の伝統を忠実に継承しており、葭葺きの屋根が醸し出す素朴で品格のある佇まいは、参拝者を神聖な境内へと導く役割を果たしています。有栖川宮熾仁親王による扁額は、皇室との深いつながりを示す貴重な文化財でもあります。

東廻廊と西廻廊も弘化5年(1848年)に京極高朗により再建されました。これらの廻廊は本殿と拝殿を結ぶ重要な建造物で、境内全体の建築的統一感を生み出しています。廻廊の美しい曲線と繊細な装飾は、江戸時代後期の建築技術の高さを示す貴重な遺構です。

国登録有形文化財・旧源照殿

旧源照殿(国登録有形文化財)は元々1919年(大正8年)に東近江市五個荘金堂地区の外村家に建てられた、皇族に縁がある貴人用の宿泊所である。後に現在地に移築されました。

この建物は大正時代の上質な木造建築として貴重な価値を持ち、皇族や高位の方々をお迎えするための特別な建造物として設計されました。現在は国登録有形文化財として保護されており、近代建築史上でも重要な位置を占めています。

建物の意匠や構造には、大正時代の建築技術と美意識が色濃く反映されており、伝統的な日本建築と近代建築の融合を見ることができます。移築という形で沙沙貴神社に保存されたことにより、この貴重な文化遺産が後世に継承されています。

参拝・拝観案内

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沙沙貴神社への参拝は、神聖な空間での心静かなひとときを過ごす貴重な機会となります。佐々木源氏発祥の地という歴史的意義と、美しい庭園群に囲まれた境内での参拝は、特別な体験となることでしょう。

参拝作法とマナー

神社での参拝は、まず手水舎で心身を清めることから始まります。手水の作法に従い、左手、右手、口の順に清めてから参拝に向かいましょう。拝殿前では「二拝二拍手一拝」の作法で、心を込めてお参りください。

当神社では、ご参拝の際の個人のスナップ写真については、厳しく規制しておりませんが、”無許可での営利を目的とする写真撮影、及び動画撮影については禁止”させていただいております。境内での撮影の際は、この点にご注意ください。

参拝時には、境内の美しい庭園もぜひご覧ください。四季折々の花々や、歴史ある庭園美を楽しみながら、ゆっくりと境内を散策されることをおすすめします。特に呑月の庭周辺は、静寂な雰囲気の中で心を落ち着けることができる場所です。

年中行事・季節のイベント

沙沙貴神社では年間を通じて様々な祭礼や行事が執り行われています。大松明神事(4月第1土曜日)、近江源氏祭(10月第2日曜日)が代表的な行事として知られています。

近江源氏祭は、佐佐木源氏・近江源氏そして佐々木姓のご先祖であられます宇多天皇・敦實親王を御祭神とお祀りしており、御先祖を敬い、平和と安寧、子孫繁栄を皆で祈念する祭礼で、10月第二日曜日に斎行されています。

歌舞を好まれた宇多天皇・敦實親王に毎年舞楽を奉納しており、青海波二人舞を女人舞楽”原笙会”にて奉納されるなど、雅楽の美しい響きが境内に響く格調高い祭礼となっています。全国から佐々木姓ゆかりの方々が参集し、ご先祖への感謝と子孫繁栄を祈願します。

御朱印・お守り情報

沙沙貴神社では、参拝記念として御朱印をいただくことができます。佐々木源氏発祥の地という特別な意義を持つ神社の御朱印は、多くの参拝者に喜ばれています。

お守りについても各種取り揃えられており、健康祈願や学業成就、家内安全など、様々な願いに応じたお守りが授与されています。特に佐々木姓の方々にとっては、ご先祖様ゆかりの神社のお守りとして特別な意味を持つものとなるでしょう。

詳細な授与品の種類や初穂料については、参拝時に社務所にてお尋ねください。神職の方が丁寧にご案内してくださいます。

アクセス・利用情報

沙沙貴神社庭園|佐々木源氏発祥の地に咲く鈍穴流の名庭と歴史を完全ガイド

沙沙貴神社へのアクセスは電車と自動車の両方で可能です。京都や大阪からも比較的アクセスしやすい立地にあり、日帰りでの参拝も十分可能です。

交通アクセス

電車でお越しの場合は、JR琵琶湖線「安土駅」より(800m)徒歩で約15分となります。安土駅は新快速も停車する駅で、京都駅からは約1時間、大阪駅からは約1時間30分でアクセス可能です。駅から神社までの道のりは比較的平坦で、歩きやすいルートとなっています。

お車でお越しの場合は、名神高速道路「竜王IC」より(12km)約20分です。高速道路からのアクセスも良好で、関西圏や中部圏からの参拝にも便利な立地です。

住所は〒521-1351 滋賀県近江八幡市安土町常楽寺1

拝観時間・料金・駐車場情報

沙沙貴神社の境内は基本的に終日開放されており、いつでも参拝することができます。ただし、社務所での御朱印授与や各種祈祷については、受付時間が9:00~19:00までの対応となっています。

参拝料は無料です。境内の庭園散策も含めて、どなたでも自由にお参りいただけます。ただし、特別な祈祷や御朱印をご希望の場合は、それぞれ初穂料が必要となります。

駐車場については境内に参拝者用の駐車場が用意されています。台数に限りがありますので、大型連休や祭礼の際には混雑が予想されます。そのような場合は、公共交通機関のご利用をおすすめします。

詳細な最新情報については、事前に神社にお問い合わせいただくか、公式サイトでご確認ください。

参照サイト

・沙沙貴神社 公式ホームページ:https://sasakijinja.or.jp/
・滋賀県観光情報[公式観光サイト]沙沙貴神社:https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/237/

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