大堀相馬焼とは?歴史と特徴からその魅力を徹底解説

大堀相馬焼とは?歴史と特徴からその魅力を徹底解説

大堀相馬焼は、福島県を代表する伝統工芸品で、独特なデザインや技法が特徴の陶器です。馬の絵柄やひび割れ模様が施された美しい意匠は、見る人の心を引きつけます。歴史ある大堀相馬焼は、実用品としての機能性だけでなく、美術工芸品としての価値も高く、愛好家が多いことでも知られています。その魅力を知れば、きっと大堀相馬焼の魅力に惹かれるはずです。

本記事では、大堀相馬焼の魅力に迫りつつ、その特徴や歴史についても詳しく解説します。なぜ馬の絵柄が描かれるのか、独特のひび割れ模様の秘密は何かといった、気になるポイントにも触れていきます。

大堀相馬焼とは?その基本情報と特徴

大堀相馬焼とは?その基本情報と特徴出典元:伝統的工芸品「大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)」 – 浪江町ホームページ

大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)は、福島県双葉郡浪江町を中心に作られる伝統的な陶磁器です。その最大の特徴は「青ひび」と呼ばれる美しいひび割れ模様と、独自の「二重焼き」の技法にあります。これらの特徴は、他の陶磁器には見られない大堀相馬焼ならではの魅力となっています。

大堀相馬焼の美しさは、その機能性と芸術性の両立にあります。見た目の美しさはもちろんのこと、二重構造の器は熱湯を入れても外側が熱くなりにくく、実用性にも優れています。そのため、日用品としても美術品としても高い評価を受けており、地域の伝統工芸品として国内外で注目を集めています。

大堀相馬焼が生まれた背景

大堀相馬焼のルーツは江戸時代初期にさかのぼります。中村藩士であった半谷休閑(はんがい きゅうかん)が、浪江町の大堀地区で陶土を発見したことがきっかけとされています。彼は家臣の左馬に指導を行い、日用雑器の生産が始まりました。

当時の日本では、日常的に使われる器や道具の多くが陶磁器で作られていました。大堀相馬焼は、庶民の日常生活を支える「実用陶器」として発展したため、気軽に使える器が多く生産されました。一方、同時期に中村城下では「相馬駒焼」と呼ばれる陶器が制作されており、こちらは藩主相馬氏への献上品とされていました。このように、庶民向けの「大堀相馬焼」と藩主向けの「相馬駒焼」という形で二つの陶磁器が発展したのです。

大堀相馬焼の製法の中でも特筆すべきは、二重構造の「二重焼き」です。この技術は、器の内部と外部を二重にすることで、熱湯を入れても外側が熱くならない構造を生み出しました。この機能性は、当時の庶民にとって非常に画期的なものであり、他の産地では見られない独自の技術として高く評価されました。

大堀相馬焼の歴史

大堀相馬焼の歴史は、江戸時代初期の中村藩の発展とともに始まりました。浪江町の大堀地域で陶土が発見されたことから、この地に窯が築かれ、陶磁器の生産が本格化します。当初は庶民の生活を支える日常雑器が中心でしたが、やがて江戸時代後期になると、藩の奨励策により多くの窯元が設立されました。

18世紀後半から19世紀にかけて、大堀相馬焼は商業的な拡大を見せ、販路は北海道から関東、さらに上州(現在の群馬県)一帯にまで広がりました。このようにして、大堀相馬焼は「地域の名産品」から「全国的な工芸品」へと変わり、広い地域で流通するようになりました。

しかし、明治時代の廃藩置県により中村藩の保護がなくなったことで、窯元の経済的支援が途絶えてしまいました。これにより、大堀相馬焼の生産は一時的に衰退します。その後も、昭和時代の戦争による物資不足が影響し、窯元の数は減少しましたが、戦後は伝統の継承を目指す動きが高まり、現在でも25戸の窯元が制作を続けています。

大堀相馬焼の存続に大きな影響を与えたのが、2011年の東日本大震災です。浪江町は原発事故の影響を大きく受け、窯元の多くが避難を余儀なくされました。しかし、避難先でも技術を継承する活動が行われ、現在は一部の窯元が生産を再開しています。このように、大堀相馬焼の歴史は、幾度もの困難を乗り越えてきた職人たちの努力と情熱の物語でもあります。

大堀相馬焼の特徴・魅力

大堀相馬焼の最大の特徴は、「青ひび」と「二重焼き」による機能美です。「青ひび」とは、青磁釉(せいじゆう)という釉薬(うわぐすり)を使ったときに生まれるひび模様のことです。このひび模様は、陶土と釉薬の収縮率の違いによって生まれ、貫入(かんにゅう)と呼ばれる自然の現象が起こることで生じます。これにより、器の表面には独特の繊細なひび模様が現れ、工芸品としての美しさを高めています。

「二重焼き」の技術も大堀相馬焼の魅力の一つです。通常の陶磁器は1層構造ですが、大堀相馬焼は内部と外部の2層構造となっているため、熱湯を注いでも外側が熱くならない特徴があります。これにより、持ちやすく、日常的に使いやすい器が生まれました。この構造は庶民の実用性を重視した結果であり、職人たちの創意工夫が詰まっています。

さらに、大堀相馬焼は装飾にもこだわりがあります。特に有名なのが「走り駒」の絵柄です。相馬藩では馬が神聖な存在とされており、走る馬の姿を「走り駒」として器の表面に描きます。この絵柄は、狩野派の技法を用いて一つ一つ手描きされており、同じ絵柄が二つとない特別な価値が生まれています。これらの美術的要素が、大堀相馬焼をただの実用品から、工芸品・美術品へと格上げする要因となっています。

大堀相馬焼の制作の流れ

大堀相馬焼の制作は、いくつもの工程を経て作り上げられます。その一つ一つの工程に、職人の高い技術とこだわりが詰まっています。

まず、地元で採取された陶土を練り、形を成形する「成形」の工程が行われます。ここでは、ろくろを用いて器の形を整えます。次に、独自の技術である「二重構造」を作るための成形が行われ、器の内側と外側の両方の厚みが調整されます。

続いて、器に「青磁釉(せいじゆう)」をかける「施釉(せゆう)」の工程が行われます。釉薬が均一にかかるよう、手作業で慎重に行われます。最後に、1200度以上の高温で焼き上げます。このとき、貫入が発生し、青ひび模様が生まれます。完成した大堀相馬焼は、1つとして同じものがない特別な一品となります。

まとめ

大堀相馬焼は、福島県浪江町を中心に受け継がれてきた伝統的な陶磁器であり、その魅力は「青ひび」の美しさや「二重焼き」の機能性にあります。江戸時代初期に中村藩の庶民向け日用品として生まれた大堀相馬焼は、歴史的な背景や技術革新を経て、今日では工芸品や美術品としても評価されています。

青ひびの繊細な模様は、釉薬と陶土の収縮率の違いによって生まれる自然の芸術であり、同じ模様が一つとして存在しないため、唯一無二の価値が宿っています。また、熱が伝わりにくい二重構造は、職人の創意工夫の結晶であり、実用性とデザイン性の両立を実現しました。

震災や戦争といった数々の困難を乗り越え、現在でも25戸の窯元が伝統技術を受け継ぎ、現代のライフスタイルに合った新たな作品を生み出しています。大堀相馬焼は、古き良き伝統を守りながらも、時代のニーズに対応した進化を続けているのです。

参照元:伝統的工芸品「大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)」 – 浪江町ホームページ

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