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法明院庭園|フェノロサが愛した琵琶湖借景の池泉回遊式庭園と三井寺最大規模の名園を完全ガイド

法明院庭園|フェノロサが愛した琵琶湖借景の池泉回遊式庭園と三井寺最大規模の名園を完全ガイド

滋賀県大津市にある法明院庭園は、園城寺(三井寺)最大規模を誇る池泉回遊式庭園で、明治時代の美術史家アーネスト・フェノロサが愛した琵琶湖と三上山の雄大な借景で知られています。1723年(享保8年)に創建された園城寺唯一の律院である法明院の境内に広がる庭園は、長等山の中腹という絶好の景勝地に位置し、琵琶湖を一望できる二段構造の美しい庭園として多くの人々を魅了しています。フェノロサが「琵琶湖の見えるこの土地で死にたい」と遺言を残すほど愛した景観は、現在も訪問者に深い感動を与え続けています。

法明院庭園の概要・基本情報

法明院庭園|フェノロサが愛した琵琶湖借景の池泉回遊式庭園と三井寺最大規模の名園を完全ガイド

法明院は、滋賀県大津市にある天台寺門宗の寺院で、園城寺(三井寺)北院にある子院です。園城寺唯一の律院として「園城之律院」とも称され、本尊は阿弥陀如来です。長等山(354メートル)の中腹に位置し、三井寺の大門(仁王門)からは北へ徒歩15分程離れた静寂な場所にあります。

法明院の境内には、園城寺最大規模の池泉回遊式庭園が広がっており、琵琶湖を一望できる境内からの景勝は格別です。庭園は2段に分かれた構造となっており、上段は美しい芝生地、下段には池泉が掘られています。この二段構造により、異なる高さから琵琶湖の美しい景観を楽しむことができる設計となっています。

書院には江戸時代に円山応挙や池大雅により描かれた障壁画も残されており(大津市指定文化財)、建物内部は普段は公開していませんが、大きな唐破風屋根の玄関はその格式の高さを感じさせます。境内には明治時代に来日し、世界に日本の美術を紹介した美術史家アーネスト・フェノロサやウィリアム・スタージス・ビゲローの墓所もあり、日本美術史上重要な意味を持つ寺院でもあります。

歴史と由来

法明院の創建年代は複雑な歴史を持っています。そもそもの創建年代は不明ですが、慶長8年(1603年)に山中長俊が園城寺子院・多宝坊の住持の隠居所として、現在の水観寺の南西に復興したのが始まりとされています。

享保9年(1724年)9月、初代となる義瑞性慶によって北院の現在地に移転されました。この地は円珍が帰国後に唐の青龍寺の戒壇から持ち帰った砂を埋めた場所であるという由緒ある土地で、再興後は園城寺唯一の律院「園城之律院」となりました。

明和3年(1766年)には、話し合いの末に京都北白川にあった聖護院門跡の隠居所・照高院から玄関と庫裏を貰い受け、もともとあった庫裏に付け加えて改築が行われています。このような歴史的変遷を経て、現在の法明院の姿が形作られました。

近世以降、法明院は多くの文化人や学者との交流を深めました。特に第9世順道敬徳(桜井敬徳)は町田久成、アーネスト・フェノロサ、ウィリアム・スタージス・ビゲロー、岡倉天心などと親交を深め、彼らに戒を授けています。第10世融照敬円(園城寺長吏、円満院門跡、聖護院門跡)はフェノロサの妻メアリーに戒を授けるなど、国際的な文化交流の拠点としても機能していました。

園城寺唯一の律院としての格式

法明院は園城寺唯一の律院として特別な地位を占めています。律院とは、仏教の戒律を重んじ、厳格な修行を行う寺院のことで、天台密教戒律の道場として創建された法明院は、比叡山麓の安楽律院と並称される格式の高い寺院です。

「園城之律院」としての法明院は、園城寺の中でも特に重要な役割を担っており、戒律の伝承と実践において中心的な存在でした。義瑞律師(ぎずい)が天台密教戒律の道場として創建したこの寺院は、単なる子院を超えた宗教的権威を持っていました。

法明院の格式の高さは、その建築にも表れています。大きな唐破風屋根の玄関は、律院としての威厳を示すとともに、多くの高僧や文化人を迎え入れてきた歴史を物語っています。また、書院に残される円山応挙や池大雅の襖絵は、この寺院が単なる修行の場ではなく、文化的な拠点でもあったことを示しています。

明治時代には、桜井敬徳律師の人格と学識により、多くの外国人研究者や文化人が法明院を訪れました。フェノロサやビゲローをはじめとする人々が仏門に入り、法明院で受戒を受けたことは、この寺院の宗教的権威と国際的な影響力を示す象徴的な出来事でした。

戦時中の1945年(昭和20年)には太平洋戦争中にアメリカ軍の空襲を受け、庭に爆弾を落とされるという被害を受けました。それによって玄関が損壊し、円山応挙などの襖絵が10枚ほど損失するという文化財的損失もありましたが、法明院はその困難を乗り越えて現在まで法灯を継承しています。

法明院庭園の見どころ・特徴

法明院庭園の魅力は、園城寺最大規模の池泉回遊式庭園としての壮大さと、琵琶湖を借景とした絶景、そしてフェノロサという国際的な文化人が愛した歴史的背景にあります。二段構造の庭園設計により、多角的な景観美を楽しむことができます。

三井寺最大規模の池泉回遊式庭園

法明院庭園は、園城寺(三井寺)山内では最大規模の池泉回遊式庭園として知られています。書院と茶室時雨亭の東側に広がるこの庭園は、琵琶湖を一望できる景勝地という立地を最大限に活かした設計となっています。

庭園は上段と下段の二段構造になっており、それぞれ異なる美しさを持っています。上段の芝生地は程よく石を配したゆったりとした空間で、四季折々の自然が楽しめる設計となっています。大きな景石がほどよく配置されており、開放的でありながら品格のある雰囲気が漂っています。

下段の池泉部分は、芝生地から石段を9段余り降りたところにあり、書院からは直接見えない構造になっています。この池には熊野川から引いた清らかな水が流れ、2つの中島が設けられており、回遊式庭園としての醍醐味を味わうことができます。中島には弁天堂も配置され、庭園に宗教的な荘厳さを加えています。

池泉回遊式庭園としての設計により、庭園内を歩きながら様々な角度から琵琶湖の景観を楽しむことができます。歩を進めるごとに変化する景色は、訪問者に新たな発見と感動を与え続けます。傾斜面という地形を巧妙に活かした庭園設計は、江戸時代の作庭技術の高さを物語っています。

琵琶湖と三上山の雄大な借景

法明院庭園の最大の魅力は、なんといっても琵琶湖と三上山(近江富士)を借景とした雄大な景観です。フェノロサが大絶賛したという絶好の景勝の地からの眺望は、現在も多くの人々を魅了し続けています。

琵琶湖の広大な水面と対岸の三上山をはじめとする山々の風景は、庭園に無限の広がりを与えています。この借景技法により、限られた庭園空間が琵琶湖全体と一体化し、壮大なスケールの美しさを実現しています。

庭園の池の東側は展望台として利用されており、琵琶湖を眺めるのに最適な場所となっています。ここからの眺望は、フェノロサが「どうしても琵琶湖の見えるこの土地で死にたい」と遺言を残すほど愛した景観そのものです。

琵琶湖や対岸の伊吹山をのぞむ風景は四季を通じて異なる表情を見せ、春の霞みがかった湖面、夏の青々とした水面、秋の紅葉に彩られた対岸の山々、冬の雪化粧した静寂な景観など、それぞれの季節に特別な美しさを楽しむことができます。

この借景の美しさは、長等山の中腹という立地があってこそ実現できるもので、法明院庭園の最も貴重な財産となっています。現代でも開発により景観が変化する中、この琵琶湖の借景は貴重な文化的景観として大切に保護されています。

フェノロサとビゲローゆかりの聖地

法明院庭園は、明治時代の国際的な文化交流の舞台として、特別な歴史的意義を持っています。アーネスト・フェノロサ(1853-1908)とウィリアム・スタージス・ビゲローという二人の外国人研究者が、この地で日本文化に深く帰依し、最終的に永眠の地として選んだことは、法明院庭園の文化的価値を物語る重要な事実です。

フェノロサは明治11年(1878年)に来日し、東京大学で哲学、政治学、理財学(経済学)などを講じました。彼の講義を受けた者には岡倉天心、嘉納治五郎、井上哲次郎、高田早苗、坪内逍遥、清沢満之らがおり、明治時代の知識人育成に大きな影響を与えました。

フェノロサが美術に公式に関わるようになったのは1882年(明治15年)のことで、第1回内国絵画共進会で審査官を務め、狩野芳崖の作品に注目し親交を結びました。芳崖の遺作である『悲母観音像』(重要文化財)は、フェノロサの指導で制作された代表作です。

二度目の訪日の際、フェノロサは自身を仏の道へと導いてくれた桜井敬徳律師が住職を務めていた法明院にしばらく滞在しました。山すその小高い場所にある法明院の琵琶湖と三上山を借景とした美しい池泉回遊式庭園からの眺めを随分と気に入り、日本を離れた後もその思いは変わることがありませんでした。

ビゲローもまた日本国内で浮世絵を積極的に収集し、歌川国貞・歌川国芳・歌川広重など歌川派の作品1万点以上を含む3万点以上の浮世絵を収集した人物です。これらの作品は彼が理事をつとめたボストン美術館に所蔵され、現在も日本美術研究の重要な資料となっています。

フェノロサとビゲローは、法明院でこの景観を気に入って滞在し、仏門にも入り仏教の研究にも没頭しました。法明院には現在も、フェノロサが生前愛用した天体望遠鏡・地球儀・テーブルなどが保存されており、彼らと法明院との深い結びつきを物語っています。1901年(明治34年)にはビゲローによって桜井敬徳の像が法明院に寄進されるなど、国際的な文化交流の記録が今も残されています。

拝観案内

拝観案内

法明院庭園は自由拝観(志納)で見学することができ、園城寺の他の庭園とは異なり予約不要で気軽に訪問できます。フェノロサが愛した琵琶湖の借景を中心とした庭園美と、日本美術史上重要な人物たちの足跡を辿ることができる貴重な文化体験の場となっています。

庭園鑑賞のポイントと二段構造の美しさ

法明院庭園の鑑賞は、その独特な二段構造を理解することから始まります。上段の芝生地と下段の池泉部分、それぞれが異なる美しさと機能を持っており、全体として調和のとれた庭園美を創出しています。

上段の芝生地は、書院から直接眺めることができる開放的な空間です。四季折々の自然が楽しめるよう設計されており、大きな景石がほどよく配置されてゆったりとした雰囲気が漂っています。ここからは琵琶湖の雄大な景観を一望でき、フェノロサが愛した絶景を同じ視点から楽しむことができます。

下段の池泉部分は、芝生地から石段を9段余り降りたところにあり、書院からは見えない隠された美しさを持っています。熊野川から引いた清らかな水が流れる池には2つの中島が設けられ、その一つには弁天堂が配置されています。この池泉回遊式の設計により、庭園内を歩きながら様々な角度から景観を楽しむことができます。

庭園の池の東側は展望台として利用されており、ここが琵琶湖を眺めるのに最適な場所となっています。フェノロサが「琵琶湖の見えるこの土地で死にたい」と遺言を残すほど愛した景観は、この展望台からの眺望そのものです。対岸の三上山をはじめとする山々の風景と琵琶湖の広大な水面が織りなす絶景は、訪問者に深い感動を与えます。

庭園鑑賞の際は、傾斜面という地形を巧妙に活かした作庭技術にも注目してください。高低差を利用した視線の変化、水の流れの演出、借景の取り込み方など、江戸時代の庭園技術の粋を感じることができます。

円山応挙・池大雅の襖絵と文化財

法明院の書院には、江戸時代に円山応挙や池大雅により描かれた襖絵が残されており、これらは大津市指定文化財となっています。円山応挙筆の「襖絵山水図」(1765年頃)と池大雅筆の「襖絵幽居図」(1765年頃)は、法明院の格式の高さを物語る貴重な文化財です。

円山応挙(1733-1795)は、江戸時代中後期を代表する画家で、写実的な画風で知られています。応挙の山水図は、自然の美しさを細密に描写した傑作で、法明院の静寂な環境と調和した作品となっています。

池大雅(1723-1776)は、南宗画の大家として知られ、中国の文人画の影響を受けた自由闊達な画風が特徴です。大雅の幽居図は、隠遁生活の美しさを描いた作品で、律院である法明院の精神性と深く結びついています。

これらの襖絵は、法明院が単なる修行の場ではなく、文化的な拠点でもあったことを示す重要な証拠です。江戸時代中期の名画家たちの作品が法明院に残されていることは、この寺院の社会的地位と文化的影響力の高さを物語っています。

建物内部は普段は公開されていませんが、大きな唐破風屋根の玄関は外観からもその格式の高さを感じることができます。この玄関は明和3年(1766年)に京都北白川の聖護院門跡の隠居所・照高院から移築されたもので、門跡寺院の建築様式を今に伝える貴重な建造物です。

戦時中の1945年(昭和20年)の空襲により、玄関が損壊し円山応挙などの襖絵が10枚ほど損失したという悲しい歴史もありますが、現在残されている文化財は大切に保存され、法明院の歴史と文化的価値を現代に伝えています。

フェノロサの墓所と遺品の見学

法明院庭園を通り抜けた奥の山麓には、アーネスト・フェノロサとウィリアム・スタージス・ビゲローの墓所があります。この墓所は、明治時代の国際的な文化交流を象徴する重要な史跡として、多くの人々が訪れる場所となっています。

フェノロサ(1853-1908)は、明治時代にアメリカの御雇外国人教師として来日し、東京大学で哲学などを教えるかたわら、日本美術の真価をアメリカ・ヨーロッパに紹介し、その振興に務めた日本美術界の恩人といわれる人物です。

フェノロサは法明院からの景勝をこよなく愛し、「どうしても琵琶湖の見えるこの土地で死にたい」という生前の遺言を残していました。1908年にロンドンで客死したフェノロサは、その遺言どおり法明院のこの地に墓が立てられました。戒名は「玄智院明徹諦信居士」です。

フェノロサの墓の隣には、親友のビゲロー博士の墓もあり、二人の友情の深さを物語っています。ビゲローもまた日本の美術と文化に深く傾倒し、膨大な浮世絵コレクションをボストン美術館に残した人物です。

法明院には、フェノロサが生前愛用した天体望遠鏡・地球儀・テーブルなどが保存されており、これらの遺品からは彼の知的好奇心と日本への深い愛情を感じ取ることができます。また、蓄音機なども大切に保存されており、明治時代の国際的な文化人の生活を垣間見ることができます。

墓所への道のりは、フェノロサが愛した琵琶湖の風景を左手に見ながら進む静寂の道で、杉の木立ちに囲まれた神聖な雰囲気の中にあります。木製の日本語の案内板と英文で書かれた石碑があり、フェノロサの業績と法明院との関わりについて詳しく知ることができます。

アクセス・利用情報

法明院庭園|フェノロサが愛した琵琶湖借景の池泉回遊式庭園と三井寺最大規模の名園を完全ガイド

法明院は三井寺から少し離れた森の中、東海自然歩道を1キロメートルほど歩いたところにあります。自然豊かな環境の中に位置しているため、庭園だけでなく周辺の森林散策も楽しむことができ、都市部では味わえない静寂と自然美を満喫できます。

交通アクセス

法明院へのアクセスは、京阪石山坂本線「大津市役所前」駅から徒歩9分が最も便利です。駅から法明院まではやや上り坂となりますが、住宅街を抜けて自然豊かな環境へと向かう道のりも、法明院訪問の楽しみの一つです。

JR湖西線「大津京」駅からは徒歩15分程度の距離にあります。大津京駅は新快速も停車する主要駅のため、京都や大阪方面からのアクセスに便利です。駅からは皇子が丘公園方面へ向かい、公園の南端から法明院への石段を上ることになります。

京阪電鉄別所駅からのアクセスも可能で、駅から消防署横を山に向って上り、皇子が丘公園の南端に出ると、そこに法明院への石段があります。このルートは地元の方によく利用されており、道案内も比較的分かりやすくなっています。

車でお越しの場合は、名神高速道路大津インターチェンジから約20分、湖西道路真野インターチェンジから約15分程度の距離にあります。ただし、山間部に位置するため道幅が狭い箇所もあり、運転には注意が必要です。

三井寺の大門(仁王門)から法明院までは徒歩15分程度で、三井寺参拝と合わせて訪問することも可能です。東海自然歩道を利用した森林散策を楽しみながらのアプローチは、都市部では体験できない貴重な時間となります。

拝観時間・料金・注意事項

法明院庭園は自由拝観(志納)となっており、3名以上の予約制である光浄院や勧学院とは異なり、個人でも気軽に訪問することができます。開門時間は一般的に午前9時から午後4時頃までとなっていますが、季節や天候により変動する場合があるため、事前に確認されることをお勧めします。

拝観料は志納制となっており、決まった金額はありませんが、庭園の維持管理や文化財保護のため、適切な志納をお願いします。庭園は常時開放されているわけではなく、寺院の都合により拝観できない場合もあるため、重要な訪問の際は事前に連絡されることをお勧めします。

建物内部(書院)は普段は公開されておらず、円山応挙や池大雅の襖絵を直接見学することは通常できません。特別公開などの機会があれば、法明院や関連機関からの告知を確認してください。

庭園内での写真撮影については、一般的な庭園写真は可能ですが、フェノロサの墓所周辺では敬意を払った行動を心がけてください。また、静寂な環境を保つため、大声での会話や携帯電話の使用は控えめにしましょう。

法明院は現在も活動している寺院であるため、法要や寺院行事が行われている際は拝観を控えるか、静かに見学するよう配慮が必要です。特に朝夕の勤行時間帯は避けて訪問されることをお勧めします。

山間部に位置するため、虫除け対策や歩きやすい靴での訪問を推奨します。また、季節によっては道が滑りやすくなることもあるため、天候に適した服装でお越しください。

<住所> 〒520-0036 滋賀県大津市園城寺町246

参照サイト

・法明院(フェノロサの墓) | 滋賀県観光情報[公式観光サイト]:https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/952/
・アーネスト・フェノロサの墓・大津市園城寺町 [滋賀文化のススメ]:https://www.shigabunka.net/archives/145

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