
萩城下町をめぐる歴史ガイド。幕末の面影が今も息づく山口の城下町へ
山口県の北部、日本海に面した萩市。ここには、江戸時代に描かれた古地図が今もそのまま使えるという、少し驚くような城下町があります。道の形も、区画の割り方も、当時からほとんど変わっていない。そんな奇跡のような場所が、萩城下町です。幕末の志士たちが育った土地として知られ、歩けば歩くほど歴史の層が重なって見えてくる、味わい深いまちです。
萩城下町が生まれるまで

山口県の北部にあり、日本海に面した萩市は、かつて江戸時代の城下町として栄えた土地です。関ヶ原の戦いに敗れた西軍の大将・毛利輝元は、それまで居城としていた広島城からの退去を余儀なくされ、幕府より所領の減封処分を受けました。
形式上、家督を譲り受けた嫡男の毛利秀就へは、周防・長門2か国の37万石が与えられ、1604年(慶長9年)には指月山の麓に城の築城を開始しました。城の建設と並行して町割りも進められ、城下町としての萩がかたちづくられていきました。
阿武川が途中で松本川と橋本川に分かれ日本海に注ぐ、その三角州の上に城下町は置かれました。2本の川と海が自然の堀となり、城下町そのものが城郭の一部を担うような地形です。この土地の選定は幕府の指示によるものだったとも伝えられています。
世界遺産として評価された理由
萩城下町は2015年7月に開催されたユネスコ世界遺産委員会で、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼・造船・石炭産業」として世界遺産に登録されました。萩エリアの構成資産は、萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、松下村塾、そして萩城下町の5つです。
2015年に世界遺産に登録された萩城下町は、幕末において日本が産業化に取り組み、産業文化を形成していった地域社会を表す重要な資産として評価されました。萩城下町の資産範囲は、萩城跡、旧上級武家地、旧町人地の3つの区域によって構成されています。
見どころをめぐる
萩城跡(指月公園)
萩城跡は、毛利輝元が建設した萩藩の政治・行政の中心でした。産業化や西洋技術の導入などの政策形成が行われた場所で、萩反射炉や恵美須ヶ鼻造船所の建設を決定したのもここです。1874年(明治7年)に天守閣は解体されましたが、石垣と内堀は良好な状態で保存されています。現在は指月公園として整備されており、かつての城の規模をしみじみと感じることができます。
旧上級武家地・堀内と鍵曲
旧上級武家地にあたる堀内エリアには、分厚い白壁の重厚な武家屋敷、夏みかんが顔を出す土塀や鍵曲など、かつて城下町として栄えた町並みが色濃く残ります。鍵曲とは、外敵の侵入を防ぐために道を鍵の手(L字)に折り曲げた防衛設計のこと。今も実際にその曲がり角を歩くことができ、当時の知恵が足元から伝わってきます。
旧町人地と菊屋家住宅
約400年の歴史を誇る商家・菊屋家住宅は、旧町人地を代表する建物のひとつです。武家地とはまた違った、商人たちの暮らしの息遣いを感じられる場所で、萩の城下町が武士だけでなく、さまざまな人々の生活で成り立っていたことを改めて教えてくれます。
松下村塾と偉人たちの生家
萩の城下町で生まれた偉人には、吉田松陰・高杉晋作・伊藤博文などがいます。吉田松陰が教鞭を振るった松下村塾や、萩藩の藩校・明倫館もこの地にあります。松下村塾は世界遺産の構成資産のひとつでもあり、小さな木造の建物に、明治維新を動かした人材が育った場所としての重みがあります。
散策の起点に
世界遺産ビジターセンターや幕末ミュージアムなどを備えた「萩・明倫学舎」は、街歩きの始まりに訪れておくと、世界遺産への理解がより一層深まります。もとは萩藩の藩校・明倫館の跡地に建てられた施設で、江戸時代の古地図が現在もそのまま使えるほど往時の町並みが残る萩城下町で、ガイドとともにまち歩きを楽しむツアーも行われています。
歴史の知識がなくても大丈夫です。白壁の塀の続く路地を歩いているだけで、時間の流れがゆっくりになるような感覚がある。それが萩城下町の、いちばんのみどころかもしれません。
萩のある山口県北部の海の魅力についても、こちらの記事でご紹介しています。あわせてご覧ください。

