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飛騨高山、江戸の面影が息づく町へ。歴史と見どころをやさしくご案内

飛騨高山、江戸の面影が息づく町へ。歴史と見どころをやさしくご案内

岐阜県の北部、飛騨山脈に抱かれた高山市。「飛騨高山」という呼び名で親しまれるこの町には、江戸時代の商家町がほぼそのままの姿で残っています。石畳を歩けば木格子の家並みが続き、造り酒屋の軒先には丸く束ねた杉の葉が揺れる。タイムスリップという言葉が少し陳腐に思えるくらい、町全体がひとつの「時代」を静かに保ちつづけています。

飛騨高山とはどんな町か

飛騨高山、江戸の面影が息づく町へ。歴史と見どころをやさしくご案内

飛騨高山の原型をつくったといえる人物が、金森長近(かなもりながちか)です。長近は天正13年(1585年)に豊臣秀吉から飛騨国を与えられました。長近は、築城と同時に、京の町並みを模して碁盤目状の城下町の町づくりや寺社の建築も進めました。現在、高山が「飛騨の小京都」と呼ばれるゆえんです。武家屋敷・商家・寺社をそれぞれの場所に配置したその設計は、400年以上経った現代にも骨格として残っています。

長近は1608年に生涯を終えますが、金森家は107年もの間、6代にわたって飛騨高山を治めました。とくに長近という人物は茶の道に通じ、千利休らに茶の湯を習うなど、文武を両立した賢い武将として知られています。この地が武家文化と職人技術の交わる場所として成熟していったのも、そうした土台があったからこそです。

1692年(元禄5年)に、6代目城主「金森頼旹」が江戸幕府の命により出羽国に移封となり、飛騨高山は幕府の直轄領となりました。そのわずか3年後の1695年(元禄8年)には、江戸幕府の命によって高山城のほぼすべてが破却され、廃城となりました。その後も政務の拠点として使われつづけたのが「高山陣屋」です。

町歩きの軸になる場所

高山陣屋

江戸時代に幕府直轄領となった飛騨の支配拠点であった役所が「高山陣屋」です。幕末には全国に約60か所あったと伝わっている陣屋のうち、主要な建物が唯一現存しているのが高山陣屋で、国の史跡にも指定されています。高山陣屋では、公式な儀式が行われた49畳敷の「大広間」や裁判が行われた「御白州」などを見ることができます。役所の空気をそのまま残す空間は、歴史の教科書には載らないリアルな行政の姿を伝えてくれます。

古い町並み(さんまち通り)

飛騨高山の古い町並みは、江戸時代の城下町、商人町として発展した歴史的な地区です。上町、下町の三筋の通りは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、江戸時代の面影を色濃く残す、貴重な場所です。「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」で三ツ星に輝いている飛騨高山には、その美しい景観を求めて大勢の観光客が訪れています。

特徴的な出格子の連なる美しい町並み、軒下を流れる清らかな用水、杉の葉を玉にした「酒ばやし」が下がる造り酒屋など、風情ある景観が広がります。酒ばやしは新酒ができたことを知らせる昔ながらのサイン。今もそのまま続いている慣習で、通りを歩くたびに自然と目に入ります。

宮川朝市

JR高山駅から徒歩約10分、鍛冶橋から弥生橋までの宮川沿いに朝早くから並ぶのが宮川朝市です。地元の野菜や漬物、手づくりの工芸品など、産地ならではのものが並ぶ場所。旅の最初の朝にここから始めると、町の体温を肌で感じられます。

職人の仕事が息づく風土

飛騨高山は、伝統工芸の産地でもあります。「一位一刀彫(いちいいっとうぼり)」や「飛騨春慶(ひだしゅんけい)」など、木を使ったものづくりは飛騨の豊かな森と職人気質が育んだ工芸です。古い町並みを歩くと、こうした工芸品を扱う店にも自然と出会えます。贈り物を探しているなら、職人の手仕事が込められた一品を手に取ってみてください。工芸品ごとの産地や技法については、こちらの記事でも詳しくご紹介しています。

飛騨高山は、知れば知るほど深い

高山の町は、一度訪れれば「また来たい」と思わせる力を持っています。表通りを歩くだけで絵になりますが、一本路地に入ると観光地らしくない静けさが広がり、地元の人の暮らしが見えてきます。歴史を知った上で歩くと、町並みのひとつひとつに意味が生まれます。

まだ訪れたことがない方にとっては、最初の一歩を踏み出すきっかけになればうれしいです。もう行ったことがある方も、今度は陣屋や職人の仕事に目を向けてみると、また違う高山に出会えるはずです。

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