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長崎 卓袱料理の歴史と魅力。和・華・蘭が出会った円卓のものがたり

長崎 卓袱料理の歴史と魅力。和・華・蘭が出会った円卓のものがたり

長崎を旅すると、どこかで耳にする「卓袱料理(しっぽくりょうり)」という言葉。聞き慣れない名前ですが、「卓」はテーブル、「袱」はテーブルクロスを意味し、中国料理や西欧料理が日本化した宴会料理の一種で、長崎市を発祥の地とし、大皿に盛られたコース料理を円卓を囲んで味わう形式です。和食・中国料理・西洋料理という三つの文化が一つの円卓に集まった、長崎ならではの食文化をご紹介します。

三つの文化が交わった港町で生まれた料理

長崎 卓袱料理の歴史と魅力。和・華・蘭が出会った円卓のものがたり

卓袱料理の歴史は、日本が鎖国政策をとっていた時代に始まりました。当時、諸外国との貿易拠点として国内で唯一開かれていたのが長崎でした。

元禄2(1689)年には唐人(中国人)屋敷が造られ、長崎の人たちははじめて彼らのご馳走(中国料理)を知り、味わいました。それが、今日の長崎卓袱料理の始まりです。

ポルトガルやオランダとも交流のあった長崎は、時代を経る中で、中国伝来のその料理に、和食、洋食のアレンジも加えていきました。そうして卓袱料理は、長崎独自の和・華・蘭料理へと発展していきました。こうした背景から、和食、中華、洋食の要素が互いに交じり合っていることから、和華蘭料理(わからんりょうり)とも評されています。

また、1654(承応3)年に黄檗宗を日本に伝えた隠元禅師が長崎に来航した際にもたらしたという精進料理の配膳形式「普茶料理」も、卓袱料理の円卓スタイルに影響をもたらしたとされています。

円卓という、身分のない食卓

長崎 卓袱料理の歴史と魅力。和・華・蘭が出会った円卓のものがたり

卓袱料理には、食べ方以上に大切にされてきた精神があります。一卓一卓に大皿で数人分の料理を盛る卓袱形式は、身分の上下に関わらず円卓を囲むことができます。しかも簡単で合理的なため、町人たちが多い長崎で大いにうけ、特に宴席で好まれるようになりました。

上座も下座もない円卓を囲んで、和気あいあいといただく卓袱料理。それは、まさにさまざまな国や街から人々が集う長崎にふさわしいスタイルでした。

「おひれをどうぞ」から始まる一座のコース

お鰭(おひれ)

卓袱料理は女将の「御鰭(おひれ)をどうぞ」の言葉から始まります。御鰭とは、「お客様お一人様に対して鯛一尾を使っておもてなし致します」という心意気を伝える吸い物のことで、以前は鯛の胸鰭が入っておりました。乾杯もご挨拶も、この一椀を口にしてからが始まり。もてなしの心がひと口目に込められています。

小菜・中鉢・大鉢

お鰭のあとは、刺身や和え物などの冷たい「小菜」が円卓に並びます。中鉢には名物の豚角煮、大鉢には季節の材料を使った主に和の料理の盛り合わせとして、長崎天婦羅やハトシ盛り合わせ、野菜の煮物などが並びます。

梅椀(うめわん)

梅椀は甘いもので締めくくる一品。日本の漆器、ポルトガルで好まれる甘味、中国の薬膳の三国の要素が混在すると考えられています。一般的に料亭では紅白の丸餅入りのお汁粉が出されます。甘さで宴を穏やかに締めくくるこのひと椀に、卓袱料理の「もてなし」のすべてが凝縮されているような気がします。

料亭で受け継がれる伝統の食卓

現在では料亭や割烹料理店で味わうのが主流で、結婚披露宴で卓袱料理形式の献立が組まれたり、冠婚葬祭などで卓袱料理の仕出し料理をとる家庭もあります。長崎には、江戸時代から続く老舗料亭が今も卓袱料理の伝統を守り続けています。

卓袱料理は時代とともにさらに洗練され、今でも長崎における郷土料理の代名詞として愛され親しまれています。食文化は、料理そのものだけでなく、その場を囲む人々の温度ごと伝わるものなのかもしれません。長崎を訪れる機会があれば、ぜひ朱塗りの円卓を囲んで、「おひれをどうぞ」の声から始まる一座を体験してみてください。

長崎の食文化についてより広く知りたい方は、こちらの記事もあわせてご覧ください。

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