• HOME
  • コラム
  • SPOT
  • 水間観音(水間寺)の楽しみかた。厄除けから縁結びまで、大阪・貝塚の古刹をめぐる
水間観音(水間寺)の楽しみかた。厄除けから縁結びまで、大阪・貝塚の古刹をめぐる

水間観音(水間寺)の楽しみかた。厄除けから縁結びまで、大阪・貝塚の古刹をめぐる

大阪市内から電車で約30分。南海電鉄に揺られ、ローカル線の水間鉄道に乗り換えると、やがて「水間観音」という駅名が目に飛び込んできます。正式には龍谷山 水間寺(みずまでら)と称する天台宗の古刹で、奈良時代から人々が足を運んできた厄除け観音の霊場です。境内には三重塔、縁結びの愛染堂、観音様出現の伝説が息づく滝と、歩くほどに物語が積み重なっていく場所。「何となく気になっていたけれど、まだ行ったことがない」という方に向けて、水間観音の魅力を場面ごとにご紹介します。

水間観音とはどんなお寺か

水間寺が開かれたのは天平16年(744年)のこと。聖武天皇の勅命を受けた行基が、この地に堂宇を建立したのが始まりとされています。寺名の由来は地形そのもので、葛城山から流れる近木川と支流の秬谷川が合流する「水の間」に境内が広がることから、その名がつきました。

ご本尊は聖観世音菩薩。現在まで一切開帳されたことがないという秘仏です。それでも府内外から多くの人が訪れるのは、1200年以上にわたって積み重ねられた信仰の厚みのなせるわざかもしれません。新西国三十三箇所の第4番札所にも数えられ、「大阪みどりの百選」にも「水間観音とその周辺」として選定されています。

江戸の文豪・井原西鶴の『日本永代蔵』第1話にも「泉州水間寺利生の銭」として登場し、全国にその名が知られるようになりました。物語の舞台に選ばれるほど、この地は古くから人々に親しまれてきたのです。

見どころ別に歩く境内

大阪府内唯一の三重塔

石造りの厄除橋を渡ってすぐ、三重塔が姿を現します。天保5年(1834年)に再建されたこの塔は、貝塚市指定有形文化財に指定されています。明治以前に建てられた大阪府内唯一の三重塔として知られており、重なり合う屋根の曲線と、緑に包まれた境内の空気がよく似合う、静かな佇まいです。

大阪府下最大級の本堂

現在の水間寺本堂は、平面が約23メートル四方にもおよぶ大阪府下最大級の本堂建築です。天明4年の本堂焼失ののち、文化8年(1811年)に再建されました。堂内では毎日決まった時間にご祈祷が行われており、祈りの声が山の静寂に溶け込む時間は、訪れた人をしばし日常から引き離してくれます。

降臨の瀧と行基の伝説

本堂の奥へと進むと「聖観世音出現の滝」、別名「降臨の瀧」があります。行基が竜神より聖観世音像を授かったとされる場所です。滝の規模は大きなものではありませんが、物語の舞台と知って立つと、奈良時代の僧侶がここに辿り着いた場面が自然と浮かんできます。

愛染堂と縁結びの伝説

境内の南側に向かうと愛染堂が見えてきます。縁結びの仏様として知られる愛染明王をお祀りするお堂です。南北朝時代、豪農の娘が毎晩祈願を続け、身分を超えた恋を成就させたという伝説が残り、「恋人の聖地」にも選ばれています。境内には歌舞伎や人形浄瑠璃の主人公・お夏清十郎の墓もあり、縁にまつわる物語が静かに重なり合う場所です。

旅の楽しみを広げる「水間厄除け街道」

水間観音駅から水間寺に至る旧参詣道は「水間厄除け街道」と呼ばれています。道沿いの16か所には、行基を観音様のもとへ導いたとされる「十六童子」にちなんだ焼物の像が置かれており、障がい者支援施設「土の子陶房」で制作されました。ひとつひとつ表情が異なる像を探しながら歩くのが、小さな楽しみになっています。

季節と行事で変わる表情

正月の千本餅つき(1月2日・3日)

毎年1月2日と3日に行われる「千本餅つき」は正月の恒例行事として有名で、貝塚市の無形文化財に指定されています。観音様の出現を祝うお祭りとして受け継がれており、行基が先導した十六童子と一緒に木の棒で餅をつき、お供えした様子を現在に伝えています。

節分の豆まき・餅まきと四季の彩り

節分には豆まき・餅まきが行われます。裏山にある水間公園では春の桜、初夏の新緑、秋の紅葉と四季を通じて豊かな自然が楽しめます。

アクセスと参拝のヒント

南海電鉄本線「貝塚駅」で水間鉄道に乗り換え、終点「水間観音駅」で下車、徒歩約7分です。大正14年(1925年)に参拝客を運ぶために開通した水間鉄道は、それ自体も歴史ある小さな鉄道で、沿線の風景もゆったりとした旅気分を添えてくれます。本堂のご参拝は7時30分から16時が目安です。

水間寺をとりまく大阪・泉州エリアの歴史や名所については、産地・地域ごとの記事もあわせてご覧ください。

関連記事一覧